大判例

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大阪高等裁判所 昭和24年(を)1675号 判決

被告人

木下仁郞

外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人両名を各罰金壱万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金百円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

理由

檢察官の本件控訴理由は末尾添附の控訴趣意書の通りである。

第一点について、

しかし裁判所法第四條には「上級審の裁判における判断はその事件について下級審の裁判所を拘束する」と規定されているから本件において下級審たる原審が上級審たる大阪高等裁判所の破棄差戻判決の理由に示された判断に從い覚書該当者として指定されるようになつた事由を科刑上の情状として斟酌する必要上現役志願の有無について審理檢討を加えたのは正に然るべき措置であると云はねばならない。若しこの差戻判決の理由が所論指令の趣旨に反すると確信するならば檢察官としてはこの判決に対し最高裁判所に上告すべきであつたのであるに拘らず右差戻判決に対しては拱手してこの措置を採らずして法規上当然爲すべき審理を盡した原判決を批難することは訴訟上の権利の誠実なる行使と認められない。(刑事訴訟規則第一條参照)よつて、原審の訴訟手続に法令の違反ありと主張する論旨は理由がない。

第二点について

公職に関する就職禁止退職等に関する勅令は覚書該当者のもとの権力及勢力がわが國の政治に影響を及ぼすことなからしめる意図で発せられたと云うその趣旨を考慮すれば本件罰則を適用し刑の量定をするに当つては覚書該当者指定後の政治活動の期間の長短、その活動の実状のみを調査するだけでは足らないのであつて覚書該当者指定前のその者の占めていた地位又は身分の高下或はその地位に自ら進んで就任したものであるか否かと云うような指定を受けるに至つた事由は凡て之を量刑斟酌すべき情状として調査しなければならないのである。蓋し等しく覚書該当者の政治活動と云つてもその及ぼす影響はその者がもと占めていた地位等によつて差支があること当然であつて之を調査しなければ妥当な量刑ができないからである。よつてこれ等の諸点に関し記録にあらわれた事実と併せて所論のような各般の事情を檢討斟酌すれば原審の量刑は不当に軽いと、認められるから原判決はこの点に於て破棄すべく而も当裁判所は直ちに判決することができると認め刑事訴訟法、第四百條但書に從い次の通り判決する。

原判決の認定した事実を法律に照すと被告人野瀨浩の所爲は昭和二十二年勅令第一号第十五條第一項第十六條第一項第七号被告人木下仁郞の所爲は右各法條の外刑法第六十五條第一項第六十一條第一項に該当するので罰金刑を選択し被告人等を各罰金一万円に処し労役場留置については刑法第十八條を適用して主文の通り判決する。

控訴趣意書

被告人 木下仁郞

瀨野浩

第一点

原裁判所は千九百四十八年二月四日附総司令部連合國最高司令官政治部より最高裁判所長官に対し発られた指令の趣旨に反し、日本裁判所において審理することを許されない事実に付証拠調を実施し該事実を量刑の資料にした違法がある。

即ち右総司令部連合國最高司令官政治部より最高裁判所長官宛発せられた指令によつて、

(一)  好ましからざる人物を公職より排除することは一九四六年一月四日附最高司令官の指令により、要求せされていること。

(二)  その指令を履行するための機構並びに手続は最高司令官の承諾を得て作られたといふこと。

(三)  総理大臣はその指令に從い、取るべき一切の行爲に付最高司令官に対して、直接責任を負担しているといふこと。

(四)  最高司令官は之に関する事項を一般的に政府の措置に任してはいるが、それに関する手続の如何なる段階においても之に介入する固有の権限を保留しているといふこと。

(五)  その結果として、日本の裁判所は前述の指令の履行に関する除去及は排除の手続に対しては裁判権を有しないということが明かにされたのであるから、覚書該当者の昭和二十二年勅令第一号第十五條違反事件において日本裁判所の審理すべき範囲は被告人が(イ)内閣総理大臣又は都道府縣知事から覚書該当者として指定されたかどうか。(ロ)覚書該当者として指定されたに拘らず選挙運動その他の政治上の活動をしたかどうか及びその情状の二点に限定せされ、追放機関が被告人を覚書該当者と指定したことが、正当であつたかどうかについては、日本裁判所は直接にも間接にも之を批判することが許されないのであつて、追放機関の行つた覚書該当者としての指定の当否は、犯罪の成否に関してのみならず、科刑の情状についても斟酌することを得ず從つてこの点に関する事実審理も之を爲し得ないものと解すべきである。(大阪高等裁判所が被告人等に対し昭和二十四年四月二十三日京都地方裁判所が宣告した有罪判決を「終戰前陸軍大尉であつた被告人瀨野浩は現役志願をしていないようにも窺はれるが、果して然りとすれば、同被告人は陸軍特別志願予備將校としての追放基準に該当しない筋合であるから、これに対し覚書該当者として内閣総理大臣のした仮指定は誤つていたことになる。しかしすでに同被告人の異議申立なくして覚書該当者と見做された以上本件行爲が前記勅令違反を構成すること自体は已むを得ずとするも、その情状たるやさまで重からずといふべく、ひいてはこれに対し原審が懲役三月の実刑を科したのは重きに失する筋合であるから、原審としてはよろしくその前提たる右現役志願の有無につき、更に檢討を加えた上判決すべきであつて以上は被告人未下仁郞についてもまた妥当する」との理由の下に破棄差戻したのは明白に前記総司部連合國最高司令官政治部の指令に反する)

然るに本件差戻後の原審第一回公判期日において

(イ)  弁護人は「被告人瀨野浩が覚書該当者であることは爭はないが本年二月八日公職に関する就職禁止退職等に関する勅令の規定による覚書該当者の指定の特免に関する政令第三十九号が公布せられ覚書該当者としての指定が著るしく不公正であると思料せられるものについては申請によりその指定が特免せられる途が開かれたので、被告人瀨野はさきの指定が現役將校であるとの点から爲されたもので著るしく不公正であると考へ、内閣総理大臣に特免申請をした。右申請の事実を証明し、情状酌量を願ふ」ものであるとの立証趣旨を陳述した後、弁証第一乃至第五号証の取調を請求した(記録第一六〇丁、一六一丁参照)

弁証第一号は被告人瀨野が昭和二十四年五月八日内閣総理大臣に対し、覚書該当者指定の特免申請書を提出した旨の京都府総務部調査課長の証明書(記録九八丁)

弁証第二号は、被告人瀨野の右特免申請書並理由書で(記録九九丁)特免申請の理由として。特別志願將校となつたのは上官の強制的進言に依るもので自己の意志ではなく、又特別志願將校ではあるが、正規の將校ではない旨の記載があり弁証第三号は、被告人瀨野の履歴書で特別志願將校の記載があるが、現役將校の記載がなく(記録一〇一丁)

弁証第四号は、被告人瀨野の昭和二十四年六月十三日附京都府廳総務部調査課長宛將校名簿取消請願で現役將校ではないから將校名簿から取消を求むる旨の記載があり(記録一一〇丁)

弁証第五号は、右將校名簿取消願添附の被告人瀨野の軍歴書で前同樣現役將校たるの記載がない。

而して弁護人が之が取調を求める趣旨が、被告人瀨野は陸軍特別志願將校であつたが現役志願をしていないから同人に対する内閣総理大臣の覚書該当者としての仮指定は不公正であり右事実は科刑につき情状として斟酌さるべきものであることを主張立証するにあることは明白であるから檢察官より前記総司令部連合國最高司令官政治部指令の趣旨に鑑み弁護人の右取調の要求に対し異議を述べたところ、原審裁判官は檢察官の異議を理由なしとして却下し、弁証第一乃至第五号の証拠調を実施し(記録一六二乃至一六四丁参照)

(ロ)  又弁護人は被告人瀨野に対し「被告人司法警察員に対する第一回供述調書中に、昭和十四年十一月少尉に任官昭和十六年八月中尉に昇進、同年十月中隊長となりましたが、それより先に特別志願將校として現役に採用された。その時期は昭和十六年十二月でありましたとの記載があり、又被告人の檢察官に対する供述調書中にも、私は特別志願の現役陸軍大尉でありましたから、公職追放の該当者であることはよく知つて居りましたとの記載があるが、その点はどうかと尋問したが、右の尋問も前同樣被告人瀨野が、現役將校にあらず、從つて同人に対する覚書該当者としての仮指定は失当であり之が失当は科刑上情状として斟酌さるべきことを、主張立証せんとするもので、許すべからざるものである。仍て檢察官より右の尋問に対し異議の申立をしたところ、原審裁判官は追放自体の当否を批判論議するものでなく、情状として單に被告人が現役將校であつかどうかの事実を尋ねることは差支へないとの理由で却下し、弁護人の右尋問を許容し、被告人瀨野は右尋問に対し「警察や檢察廳では先程読み聞けられた樣な答弁をしたが、嚴格な意味の現役志願をした事実はないと思ふ」と答弁し(記録一六六、一六七丁参照)又

(ハ)  弁護人は被告人瀨野に対し「被告人は現役軍人でないのに拘らず昭和二十二年十一月二十八日附官報で、覚書該当者として仮指定を受け乍ら、何故異議の申立をしなかつたかと尋問したので檢察官より前同樣の理由の下に、異議の申立をしたが原審裁判官は之亦理由なしとして却下したのみならず(記録一七五、一七六丁参照)

(ニ)  原審裁判官は、自ら被告人瀨野に対し、「特別志願將校になつたが現役志願はしなかつた」と尋問し「左樣であります」との答弁を得てゐる(記録一七四丁)

即ち事件差戻後の第一回公判期日において、原審裁判官は、誤れる前掲大阪高等裁判所の差戻判決理由に影響せられ、被告人瀨野が陸軍特別志願予備將校であつても、現役志願をしていないなら同人に対する覚書該当者としての仮指定は不当でありこの不当は科刑上情状として斟酌すべきものであるとして、この点に関する事実審理を行ひ情状として斟酌したもので、右は明かに前記総司令部連合國最高司令官政治部より、最高裁判所長官に対し発せられた指令の趣旨に反し、日本裁判所において本來審理すべからざる事実に付、証拠調を実施した違法がありこの違法は原判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、刑事訴訟法第三百七十九條同第三百九十七條に基き、速に破棄さるべきものと思料する。

第二点

原裁判所は、被告人両名に対し、夫々罰金五千円に処する旨の判決を宣告したが、右は昭和二十二年勅令第一号の重大性と嚴格性に鑑み量刑著るしく軽きに失するものである。即ち被告人木下二郞に対する司法警察員松尾敏、副檢事大槻龍馬各作成の供述調書被告瀨野浩に対する司法警察員軽部肇、副檢事大槻龍馬各作成の供述調書の記載によれば被告人木下は、昭和二十四年一月二十三日施行せられた衆議院議員選挙に際し、京都府第二区から立候補した同議員候補者宮崎修の選挙事務長格であつたものであるが「被告人瀨野が特別志願の將校で覚書該当者であることは昨年夏頃本人より聞いて知つて居り」(記録五一丁表)「覚書該当者の選挙運動が禁止されてゐることも、選挙管理委員会から宮崎候補のもとへ送られた「選挙運動概要」とかいふ選挙運動者の心得を書いたパンフレツトを読んで知つてゐた」(五一丁裏)に拘らず「宮崎氏が一且立候補した以上、出來る限り應援したいと思ひ、当地方の知人に呼びかけるため、積極的な應援者が欲しく」一月四日頃同村の友人で平素より心易い被告人瀨野に対し「今度立候補した宮崎氏のため盡力してやつてくれと賴み」その翌日頃、綾部町で宮崎候補が街頭演説をしている路上で同人を宮崎候補者に紹介し(四七丁裏)次いで本件選挙事務所の借入方を依賴し選挙運動用の鉄道乘車劵を交付(五二丁)してゐるのであつて被告人木下は、只單に被告人瀨野に選挙事務所の借受方を依賴しただけでなく、候補者宮崎修の爲廣く選挙運動方を依賴し、被告人瀨野の有する地方的地位を利用せんとしてゐるのであり被告人瀨野は福知山商業学校出身で、昭和十一年四月父の製材工場建設に從事し、昭和十二年九月一日應召、昭和十三年四月幹部候補生、昭和十四年十一月少尉任官、昭和十六年三月特別志願將校、同年八月中尉任官、同年十月中隊長となり、昭和十九年九月大尉に昇進、昭和二十年二月大尉学生として、中華民國豊台で敎育を受け、同年三月大隊長となり、昭和二十一年召集解除、肩書地において木材業を、次いで金物化粧品商を営んでゐる者で(五五丁、五六丁、)土地の有力者であるのみならず、候補者宮崎修の人格については「同人が救國庶民同志会をつくつてゐて、非常に靑年に親しまれる國家を思ふ人であり、熱と愛の人であることと知つて」居り(五七丁)昭和二十四年一月四日被告人木下から宮崎修の選挙の責任者として運動しておるので援助してくれないか、といふので宮崎修さんの人格も薄々知つてゐるのでそれでは氣張つてやらうと返事をし、出來るだけ運動をやらうと考へ」(五八丁、七〇丁)一月六日綾部町において宮崎候補者の衡頭演説をきゝ、その主義主張に共鳴し(六〇丁)同候補者に挨拶をし翌七日頃被告人木下から本件選挙事務所の借入方を依賴せられて翌八日福知山市において、事務所の借入方に奔走し、帰途綾部町の選挙事務所に行き、十六日以降の運動計画を見せて貰ひ天日、船井地区の候補者の衡頭演説の道案内をすることを約した(六三丁)が一月十三日下和知村選挙管理委員会から注意を受け、始めて宮崎候補者の爲の選挙運動を中止し(六四丁、二九丁)たものであること明かである。即ち被告人木下は候補者宮崎修に当選を得させる目的で、覚書該当者である被告人瀨野に対し積極的な選挙運動方を依賴し以て同人の社会的地位を利用せんとし被告人瀨野又候補者宮崎修の主義主張に共鳴し同人の爲積極的な選挙運動を行ふことを決意してゐたもので、本件選挙事務所の借入は正に被告人等の右決意のあらはれである。原審裁判官が被告人等に罰金五千円を言渡したのは起訴事実のみに着目し被告人瀨野が事務所借入に奔走するに至つた前記事情を無視して事案を軽視し且前記勅令第一号の重大性と嚴格性を考慮せざる著るしく軽きに失する不当の量刑であるから刑事訴訟法第三百八十一條、同第三百九十七條に基き破棄せらるべきものと思料する。

以上の理由に依り原判決破毀の上懲役刑を選択し実刑の判決を求める爲本件控訴の申立をした次第である。

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